話せば分かる 話さなければ分からない

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傾聴の話は、机上でいくらテクニックを勉強しても無駄。 実践あるのみ、とは本当だろう。 実際に、講義では似たような話が多い。 その場では感銘を受けるが、実践の場では忘れている。 要するに何度聞いても、全く身についていないということ。
今回の講義(新任民生委員研修)で特に感銘したのは、この部分。 「話し手」と「聞き手」のイメージのズレが生じるのは当たり前であると承知してコミュニケーション能力を高める。 要するに「話せば分かる」ではなく、「話しても分からない」だから「分かりあえるように話し合おう」ということ。 当たり前の説明だが、今回、これに共鳴したのは、認知の勉強をしたから。 人はどのように認知するかを、脳の仕組みに基づいた説明を受けていたので、素直に、コレを聞けた。
要するに、人間は、自分の知らないことしか理解できない。 人間の脳に収められた知識や経験が千差万別なので、仮に事実が同一としても、人のイメージは各々異なる、ということか。認知症は、この認知のプロセスの一部に異常があって、様々な症状がでるが、健常者でも、(この認知の仕組みが正しいとすれば、)各人のイメージが異なるのが当然。 何故、理解してくれないのだと嘆く前に、分からないことを前提に、だからこそ分かり合おうと努力する事が大事であり、それが傾聴の基本的な考えらしい。

相手が、認知高齢者の場合は尚更である。 まずは、パートナーとの日常会話で傾聴を試すこととするか・・・。 諦めないで・・・・。

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