5月14日付けの朝日朝刊オピニオンに「介護保険10年 何かが足りない」が掲載された。
200年4月に公的介護保険が始まって10年。サービスの利用は浸透したが、介護をめぐる人々の不満や不信は和らぐ兆しはない。財源の不足だけが原因なのか。 介護保険は、必要な何かを見落としてきたのではないか、 とある。
万人を満足させる制度はない。利用が浸透しているのは大多数が、まあまあ満足しているとも取れなくない。では、何かとは、何か?3名の各々のオピニオンがあった。
「困窮者向け福祉制度も必要」(結城さん)は、福祉サービスの基本的考えが、措置から契約へ変わったため、低所得者層や社会的弱者が、介護保険制度から切り捨てられている。福祉の本質を考えて、再度、困窮者向けの措置を復帰せよと言うもの。
タカさんは、介護保険制度の枠内で、このような社会的弱者を援助するために社会貢献型後見人を目指しているが、介護保険制度の「契約主義」と「競争原理」が、根本的に間違っているという意見は新鮮に感じた。
一方、「利用者評価に応じた報酬を」(柳本さん)は、「保険の枠内では本当に必要なケアは提供できない」と主張。公的保険である以上公平・平等・均一でなければならず、そのために細かなルールが必要になり、結果として個々人から見ると、全く融通がつかないがんじがらめのサービスとなる。 介護保険制度は、これらのどちらかというと裕福な階層の介護ニーズを切り捨てている。 顧客ニーズに合った質の高いサービスを提供し、それに見合った報酬を頂くいた方が、顧客満足度を高めるというもの。
タカさんとしては、契約主義と競争原理を推し進めた結果、社会的弱者が益々切り捨てられることを危惧せざるを得ない。 結城さん主張のように、介護システムを中高所得者と低所得者の2本立てに再構築するのが合理的かとも考える。
「死を不自然に引き伸ばさないで」(伊藤さん)は、介護そのものの本質に迫るもの。「どんな死に方をするか」という本人の選択が生かされる仕組みを介護保険に組み入れて欲しい、との主張。 確かに介護から死に至る過程をセットで考え、サービスとして提供できれば、顧客満足は高まると思う。 自身の両親の介護で、悲惨な苦労と苦痛を経験した人なら、ある程度は共感するのではないだろうか。しかし、これは医療や相続など、非常に多くの制度にも関係しており、そう簡単ではなさそう。介護保険制度以前の問題でしょう。
タカさんも、社会貢献型後見人になったら、(他人の家庭ではあるが)同じような環境を経験することになるかもしれない。
それにしても、介護保険に対する不満と不信は、なかなかなくならないでしょうね。それを埋めるような第3の公共や民間サービスが登場してくると思われる。